この事件は本当に怒りを覚える事件です。
異常性犯罪もここまで来たか・・・と世界の未来を案じるほどの情けなさ・・・。
人が人を裁く・・・そして死を宣告する・・・もちろん、これには疑問が付きまといます。人が人を裁かなくても、いつか因果応報/陰陽のバランスで、悪いことをすればその報いが、必ず与えられるものだと思います。多かれ少なかれ、普通の人ならこういう考えはあると思います。そして実際に人生を振り返ると、それが事実であると感じます。幸せな事にも不幸な事にも、必ず納得のいく原因が少しはあるものです。被告人の少年が仮に世の中に出ることがあっても、彼が人間としての本当の幸せを手に入れることは難しいと思います。世の中が許さないだろうし、彼自身にも資格が備わっていないでしょう。やはり彼が犯したことに対しての報いを受けながら生きていくでしょう。しかし、彼が世の中に出ることによる、被害者の家族や国民の不安や憤り、やるせなさはどうなるのでしょう?
被告人の父親が言ってました・・・罪を憎んで人を憎まず・・・いい言葉です。しかし都合の良い言葉です。その憎むべき罪は、もう充分償ったとでも言うのでしょうか?この言葉は、もう充分罪を償った者に与えられる言葉です。そして、人を殺めるに至った経緯に、充分に同情を感じる場合だけの言葉です(もちろん、何があっても人を殺めるのは間違いですが)。
まぁ変態というか異常というか、特に腹が立つのは、逮捕後に友人に宛てた手紙。反省の念のかけらもない文面。やって当たり前のごとくの文面。自分のやったことがヒーロー的だとでも勘違いしているのだろうか。完全に悪ですよ。それもかなりかっこ悪い、情けない悪。失礼、ちょっと感情が高ぶってきました。個人的には、完全悪ってなかなかいないと思いますが・・・。
本当のことを言えば、死刑くらいじゃ済まされない気持ちになります。ただ単に自分の欲望のためだけに、母子を殺害して屍姦。本能むき出しもここまで来ると、犬猫でもしないことです。お金のため、恨みのため・・・同じ許されない行為でも、これらのほうがまだ少しは分かります。まぁ思春期というか、異性に興味を持つまでは分かりますが、殺害屍姦という行為に同情の余地は皆無です。
そんな中での父親の発言と態度。子が子なら親も・・・という言葉が浮かびます。親が・・・だから・・・というのも理由の1つではないでしょうか?
奈良の高1長男による放火殺害容疑事件では、父親が長男の勉強部屋をICUと呼ばせていたとか・・・教育って何だろうって思います。仕事と家庭とのけじめをつけられない父親に教育が出来るのでしょうか?親は、子供が社会に出て独り立ちしたときに、社会になじんで社会人として生きていけるように教育することが最も必要だと思います。そのためには、逞しさや優しさ、生きるための知恵、そんな事が最も必要なのだと思います。それらはICUでは学べないことなのではないでしょうか。ICU・・・集中治療室・・・わが子に治療を施す・・・わが子が病んでいたのは、勉強のことではなかったようです。
小学1年女児誘拐殺害の小林薫被告にしてもそうですが、これまでの人生で何を学んできたのか・・・教育環境というものを考えます。これも、わいせつ目的での殺害です。こういってしまえば語弊がありますが、くだらないことです。人間は性行為が無くても死なないし、幸せな人生も送れると思います。貧しくて、今日食べるのにも困っている人が、世界中にたくさんいます。そんな事を考えると、性犯罪ほど軽々しい犯罪は無いと思います。人間の命を最も軽がるしく見た犯罪。そんな人は自分の命も軽く見ているのでしょうか?
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